「ニューヨーク日本歴史デジタル・ミュージアム」発足

ニューヨーク日本歴史デジタル・ミュージアム発足

米国において日系人の歴史が語られるとき、現存のジャパン・タウンが多いことから西海岸が注目されがちです。(ジャパン・タウンに興味のある方はポッドキャスト第19回放送を聞いてみてください)

とはいえ、19世紀、そして20世紀の米国の歴史は、東海岸、ワシントンDCを中心に動いていたのが実情。今日のブログでは、ニューヨークにおける日本人の歴史の始まりについて簡単にお話しするとともに、5月18日にNYで発足した「ニューヨーク日本歴史デジタル・ミュージアム」を紹介します。

同名のポッドキャスト番組もオンエア中です。今回ブログで綴る内容をより詳しく解説しています。ぜひ聞いてみてください。

1860年、福沢諭吉、勝海舟、ジョン万次郎らがNYに上陸

まずは少し歴史を遡り、時は1860年のこと。万延元年遣米使節(まんえいがんねんけんべいしせつ)と呼ばれる徳川幕府使節団が日米修好通商条約の批准書の交換のためニューヨークを訪問しています。
ちなみにこの時に、使節団が乗船していたポーハタン号には、かの有名な咸臨丸が護衛艦という名目で随伴。その中には、近代日本の幕開けの立役者である福沢諭吉、勝海舟、ジョン万次郎といった面々がいたとのこと。

使節団は、サンフランシスコを出てパナマを訪問、再び米国に戻り、ワシントンでブキャナン大統領と会い、条約批准書を交換。バルチモア、フィラデルフィアを経由し、最終訪問地であるニューヨークに到着したのは、江戸を旅立ってから約4カ月後の6月16日でした。

史上初の日本人の渡米 NY市民50万人が集結

ブロードウェイでは日本人使節団の訪問を祝い、パレードも開催されました。パレードは、ダウンタウンからユニオン・スクエアに至るコースを行進。当時、全く異国の地であった日本からの訪問客は大いに注目を浴びました。髷を結い、腰に刀を差した日本人の姿をひと目見ようと、50万人とも言われる市民が集まったそうです。

在ニューヨーク日本国総領事館のウェブサイトには 「パレードの他、使節団一行は市長との会見、市内視察等を行いましたが、その間一行に関する演劇・歌が上演されたり、土産物が売られたり、“日本人(Japanese)”と名づけられたカクテルが人気を博したり、1860年夏のニューヨークは日本で溢れかえりました」と綴られています。

特に、使節団の中で最年少(17歳)で通訳の見習いであった立石斧次郎(たていしおのじろう)は、人なつっこい人柄で米国人から「トミー」というニックネームで愛されました。使節団がアメリカを離れた後も「トミー」ブームは続き、ついに彼を題材にした「トミー・ポルカ」という曲まで誕生し、大ヒットしたことからも人気の白熱ぶりが伺えます。
この使節団の訪問は、ジョン万次郎など一部の民間人の偶然の訪米を除いて初めて公式に米国と日本が人的交流を行なった機会となりました。

日米集結交流を永続的に

その歴史的訪問から150年後に当たる2010年には、NYで多くの記念イベントが行われ、20年12月12日には、この150-160年の交流の歴史を祝う行事を一過性にしないため「ニューヨーク日本歴史評議会」が発足されました。

会長はジャムズネット代表の本間俊一さん

ジャムズネットとは、医療、福祉、教育、心理系邦人支援グループ同士の情報交換、相互連携の構築・促進を目的として、在ニューヨーク総領事館が協力し日系企業が支援する非営利団体(NPO)として設立されたネットワークです。スイス、ドイツ、カナダ等の国々で設立されており、20を越える団体が加盟。海外在留邦人の心と身体の健康をサポートしています。

副会長は、以下の3人です。

1. 秋吉 敏子さん
グラミー賞14度受賞。日本人という枠を越えたジャズ界のレジェンド。娘さんは歌手・フルート奏者、昔日本で役者としても活躍されたMondayミチルさん。

2. 髙岡 英則さん
ニューヨークの日本クラブの会長でもあり、北米三菱商事の社長

3.  スーザン 大沼さん
ニューヨーク日系人会会長 

また、名誉会長は山野内勘二さん(在ニューヨーク日本総領事・大使)という顔ぶれです。同評議会の主旨ですが、「評議会は、ニューヨーク及びその周辺地域における日本関連の歴史を収集、保存、公開及び発信するとともに、将来の世代に語り継いでいく目的を有します。」(HPから抜粋)とのこと。

 それを具現化するため、本日の本題である、「ニューヨーク日本歴史デジタル・ミュージアム」の設立を、同評議会が今年の5月18日に発表し、お披露目イベントがオンラインで実施されました。 

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「ニューヨーク日本歴史デジタル・ミュージアム」とは?

この施設をひと言で説明すると「米国における日本人・日系人の歴史的な文献をオンライン上に保存し、公開する」オンライン博物館。

NY日系人会やJapanCulture NYC創設者のスーザン・マッコーマックさん(英語でNYCの日本文化関連情報を流しているウェブメディア)が中心となって、制作や管理を手掛けており、そこに在NY日本国総領事館やJapan societyや日本クラブなど多くの日系の有力団体が協力して運営されています。

ちょうど5月は、アメリカでAsian American Pacific Islander Heritage Monthということもあり、アジア系のイベントやアナウンスメントが毎日のように行われていたので、本博物館の設立を発表にあたり、タイムリーな時期であったと言えます。

もし可能でしたら、ここからはサイト「DIGITAL MUSEUM OF THE HISTORY OF JAPANESE IN NY」を見ながら、読んでいただけると(トップページから「歴史アーカイブ」を選んで頂き、左手の「カテゴリ」より以下の項目を 選んでください)、よりイメージして頂きやすいかもしれません。

せっかくですので同サイトで閲覧できる情報をいくつかかいつまんで紹介します。

ー政治・外交
初代駐日米国総領事(ちゅうにちべいこくそうりょうじ)のタウンゼントハリスの写真をご覧いただけます。彼のお墓はNYのブルックリン地区にあるグリーンウッド墓地にあって、私も二年前に個人的に訪れたことがあります。 

ービジネス
三菱商事社史。三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の情報が閲覧可能。同ウェブにはアメリカ議会図書館、三菱商事等、資料の出典先も明記されております。

 ー教育
1871年、岩倉使節団と共に来米した日本人女子初の米国留学生。津田塾大学の創設者、津田梅子の留学時の写真も掲載されています。

ー 化学
アドレナリンを発見し、NYで活動していた科学者・高峰譲吉博士。三共(医薬品メーカー)、理研(理化学研究所)の設立に関わったことで知られています。今や世界の観光名所になっている、ワシントンD.C. のポトマック河畔にある桜並木ですが、日米友好のシンボルとしてアメリカに桜を植樹する企画をしたのは、高峰譲吉博士でした。トヨタの創業者の豊田佐吉が、NYにいる高峰博士を訪問して詰まっていた事業のアドバイスをもらったというエピソードも。ニューヨークで死去。また、ロックフェラー大学の研究員であった野口英世など多数…。

前述した、日本人使節団の訪問を祝うブロードウェイのパレードの写真も掲載されています。

ちなみに、この日の詳細はNew York Timesにもしっかりと特集(RECEPTION OF THE JAPANESE.; Preparations for Their Arrival in New-York.)されていて、記事はNew York Times(一部、有料購読のみ閲覧可)でオンラインで見ることができます。

また、同日の他の記事JAPAN AND THE JAPANESE.; Location, Soil, Climate, Customs, &c.では、日本紹介がされていて、モミとスギが多い、あるいは皇室から貴族、商人など階級があるなど、当時のニューヨークで、どのような日本に関する情報が得られていたのかが伺えます。

評議会はウェブサイトで、次のように記しています。

〝今日の日米両国の間に存在する強固で確固たる絆は、これまで知られてこなかったニューヨーク地域における数え切れない日本人、日系アメリカ人及びアメリカ人の各々のストーリーから成り立っています。このプロジェクトを通じ、彼らに光を当て、彼らを記憶に留め、認知し、敬うことを目的としています〟

先達の日本人への感謝と尊敬の想い再認識 

このNYにバックパックひとつで降り立ち、右も左もわからなかった自分が、ビジネスを立ち上げ今までやってこられた事は、アメリカという国の、様々な人種を受け入れる懐の深さによるところがまず大きかったことでしょう。

しかし、そのこと以上に、このような日本人の軌跡を見るに、数々の先達の方の血の滲む努力によって残された足跡の先に自分が立っているということを、大いに実感させられます。

在米15年になって、やっとこさある程度自分が一人の日本人として何ができるのか、そしてこのNYの社会にどのように貢献していくべきか、がおぼろげながら見えてきたところ。
物事は過去・現在・未来と繋がっていますが、最近、この三つの中で今までがむしゃらに働いてきて振り返ることさえできなかった「過去」を確認してみたいと感じるようになりました。まさにそんな時、この博物館が発足し、自分にとって素晴らしいタイミングであったと有難く受け止めています。

ちなみに、お披露目イベントで、山野内大使が「デジタルのみならず機会があれば常設の博物館を作ることも検討したい」と仰っていたので、その設立も今後期待したいところ。

この博物館を一層充実させるべく、皆様の中で歴史的な資料をお持ちの方、又は、資金援助を御希望される方は、ウェブのニューヨーク日本歴史評議会の事務局宛に御連絡願います。

日本政府の公式訪問である使節団直後1861年からは南北戦争が勃発、一方日本では明治維新、そして何よりも、その後日米間では二度にわたる太平洋戦争があり、この間に日米を往復し交流を続けた政府関係者、移民の方々の苦労は、想像を絶するものがあったことでしょう。その努力を忘れないためにもこの博物館により多くの資料が集まり、先人が築いてくれた土台を大切に守り次世代につなげていく義務が現代に生きる我々にはあると思います。

戦時中の日系人の歴史についてまとめたシリーズをやって欲しいというリクエストを頂いております。同分野における研究者の方が全米各地に多くいらっしゃる中で、収容所での体験談、欧州戦線で活躍した日系部隊の話など、この幅広い内容をどこまで掘り下げられるか分かりませんが、今年中には何回かのシリーズで紹介することができたらと思っています。