鍋島緞通五代目・吉島タ莉子さん編/350年の歴史ある手織り絨毯を現代へ 

鍋島緞通

海外進出を目指すアーティストをRESOBOXスタッフが取材し、思いを語っていただくインタビューシリーズ。今回登場していただくのは、「本家鍋島緞通」(佐賀市)の五代目継承者吉島タ莉子さん(31)です。皆さんは江戸時代から続く伝統工芸「鍋島緞通(だんつう)」をご存じですか? 上質な木綿の糸で織った美しい柄の絨毯です。緞通の歴史や魅力、今後の展望について伺いました。

Q.そもそも「鍋島緞通」とは?
A.上質な木綿で作った手織りの絨毯

「緞通(だんつう)」という言葉を初めて聞く人も多いと思います。緞通は中国語で絨毯のこと。ペルシャ絨毯がシルクロードを通って中国に伝わり、日本には長崎に今から350年前頃(1672〜88年)に、入ってきました。

「本家鍋島緞通」が拠点を構える佐賀は、塩分を含む干拓地の土で米が育たなかったため、木綿の栽培に力を入れていました。そんな中、農家を営んでいた古賀清右衛門が、自ら緞通の織る技術を学び、木綿で作り始めたといわれています。その美しさに当時佐賀を統治していた鍋島藩主が惚れ込み、鍋島藩御用として参勤交代の際などに徳川藩や京都の公家への献上品として使うようになりました。他藩に技術が漏れないようにと、決められた人しか技術を学べないように保護し、一般への売買も禁止されていたそうです。

Q.一畳というサイズ感と美しい柄が印象的です
A.サイズは日本で進化 350年前の古典柄を現在も復元 

中国から伝わった緞通は大きかったのですが、日本で畳一畳サイズに進化しました。将軍らが壇上で座ったり、茶席で使用したりするケースが多く、用途に合わせたのでしょう。また、素材は高温多湿な日本に合わせ木綿を使用しています。 
弊社で作っている緞通の柄は、大きく分けて2つ。350年前から伝わる「古典柄」と、現代の暮らしに溶け込むようにデザインした「現代柄」があります。

古典柄は、現在30パターン程度。鍋島藩に残っていた品や、遠山美術館(埼玉)に所蔵されていたものを参考に図案を作り、復元しています。美術館や骨董店から「古い緞通が出た」と連絡が入るたびに出向き、鍋島緞通であれば図柄を書き起こしています。

古典柄の代表的な図柄「蟹牡丹(がにぼたん)」。 牡丹は繁栄を意味し、蟹は悪縁を絶ちきるなど、魔除けを意味する縁起の良い図柄です

Q.製法について教えてください
A.全て手織り 一人の職人が責任持って仕上げます

弊社では耐久性とコシがある上質な木綿を手染めしたオリジナルの糸を使い、専用の織機で織っていきます。
織機に一畳分にあたる209本の縦糸を張り、柄に合わせて染めた色とりどりの横糸を、設計図に合わせて1本ずつ結んでは刃物で切り、上からトントンと叩いて打ち付けます。一列結び終えたのち、糸をカットして毛足を揃える作業を丁寧に繰り返します。職人によって力加減が異なるため、一つの作品は一人の職人で完結。一畳分の作品の完成には約1カ月間を要します。糸を紡ぎ、染める作業を合わせると、半年以上です。
弊社は現存する最も古い織元として、技術を一家で継承し、現在は7人の職人が作業をしています。

「九州の嵐山」と呼ばれている景勝地「川上峡」の川沿いにある工房内の様子。工房は事前に予約すると見学も可能

Q.さまざまな絨毯があります。鍋島緞通の特長は?
A.手織りならではの優しい肌触りと頑丈さ 

夏はさらっと涼しく、冬はふんわり暖かく。肌に触れると「ああ気持ちいいな…」と、安らぎを感じていただけます。何より頑丈で、経年変化も楽しむことができ、虫食いも少ないです。百年前の商品も修繕に持ち込まれ、家族で受け継ぎながら何代もご愛用いただいています。木綿の糸だけを使い、職人が一つずつ丁寧に仕上げる手織りだからこそ、型崩れせず、美しい状態を長年に渡りキープすることができます。

近年は、量産するために機械織りの緞通も各地で作られています。安価で大量に生産できるメリットはありますが、土台を別に作ってボンド等で接着する必要がある場合が多いため、粘液の影響で腐食してしまうなど、手織りと比較すると強度が低いデメリットもあります。

Q.鍋島緞通を家業にした経緯は?
A.明治時代に技術が譲渡

明治時代に佐賀県が、刑務所の受刑者への更生事業として、鍋島緞通の織り方を指導していました。当時、刑務所の所長をしていた私の高祖父・吉島正敏が鍋島緞通の美しさに魅せられ、退官する際に緞通を製造する権利を買取り技術の譲渡が許され、家業になりました。

Q.タ莉子さんはいつから職人を目指しているのですか?
A.大学4年生の時 「自分しかいない」と運命を感じて…

幼い頃から緞通の技術に触れながら育ちましたが、実のところ自分が継ぐとは思っていませんでした。一族内で「機械」と「手織り」、どちらで続けていくかで意見が割れ、会社が二つに別れた際に、急遽、手織りで続ける「本家鍋島緞通」の跡取りとして私の名前が浮上。当時、上京して大学に通っていたのですが、母から経緯を説明され「帰って来る気はある?」と聞かれました。突然のことで驚きましたが、手織りの鍋島緞通がなくなることが想像できず、「私しかいない。運命だ」と、決心しました。

工房で作業するタ莉子さん

祖父母や母は「あなたは自分の人生を歩んでいいんだよ」と言ってくれたのですが、「やりたい」と、素直に感じました。その後、芸術系の短大で学び直し、実家に戻って現在に至ります。

Q.5代目として取り組みたいことは?
A.まずは認知度アップ 現代に響くデザインを発信 

鍋島緞通の弱みは、知名度の低さです。佐賀と京都ではご存知の方も多く、自宅に所有することで「格式が上がる」と喜ばれたり、「いつか購入したい」と憧れを持つ人もいます。ただ、その他の地域ではほぼ周知されていない現状があります。

東京の展示会では、「歴史」「伝統」「古典柄」という謳い文句は通用しません。「柄やデザインがいかに好まれるか」など、インテリアとして比較されます。昔からイランの伝統織物の「ペルシャ絨毯」の人気は根強く、近年では「キリム」や「ギャッベ」などの柄ものの絨毯が人気ですよね。鍋島緞通もそのカテゴリーでの勝負になります。

もちろん、日本の風土に合うよう進化し発展してきた日本最古の絨毯という強みや、受け継いできた技術ならではの強度や触り心地の良さに自信があります。そこに加え、現代の人たちの心に響くデザインを加えられるように努力しています。

Q.デザイン面での取り組みが気になります
A.作家や異業種とのコラボレーションなど

「現代柄」として、今の住宅に溶け込みやすいデザインや配色を考案しています。コラボレーション作品も商品化しており、人間国宝の14代今泉今右衛門先生や井上萬二先生、15代酒井田柿右衛門先生ら、著名な方々に図案を制作していただき、新柄が完成しています。今後は若手のアーティストともコラボレーションできたらと考えています。
サイズも現代の生活様式に合わせ、バリエーションを増やしていくべきだと考えています。
展示会等では「インテリアとして壁に飾りたい」「タペストリーを作ってほしい」「コースターサイズをプレゼント用に作っていただきたい」といった声もいただき、オーダーメイドでの制作も受けています。

また、有田焼や名尾手すき和紙など、佐賀県内の伝統産業や食品を扱う異業種11社で集う団体「SAGA COLLECTIVE」に所属し、毎月集まってイノベーションも研究しています。所属企業同士でコラボレーション商品を作ったり、新しいアイデアを出し合ったりして刺激する良い場になっています。
最近挑戦したのは家具のメーカーとのコラボレーションです。表面をガラス張りにしたテーブルの内側に、着せ替え可能な緞通を入れて、テーブルのデザインの一部として活用しました。

これまで弊社では、伝統を守り、作り続けることを大切にしてきました。しかし今後は、新しいことに挑戦し、広げていきたいと考えています。

Q.最後に今後の展望についてお聞かせください
A.可能性広げる活動 思い切り楽しみたい

最近では、東京・白金台の八芳園の料亭など、伝統あるホテルや旅館で使っていただいています。訪れた方に興味を持っていただき、少しずつ広がっていけば嬉しいですね。

また、海外での展開も考えています。数年前に北京で行われた日本伝統工芸展への出展の機会に恵まれました。緞通は元々中国から伝わったので、好まれるだろうと期待したのですが文化や生活様式の違いを感じる結果となりました。しかし、どんな工芸品も歴史を経て他国へ伝わり、その土地の色を加えながら発展し、広がっていきます。鍋島緞通も日本で大きさや色、柄に変化が加わり、進化した状態で発展しています。まだ五代目としての活動は始まったばかりですし、どんな形になるかは未知ですが、固定観念に囚われず挑戦したいです。

鍋島緞通の可能性を広げることは私にしかできないことです。この境遇を思い切り楽しみたいです。

四代目の吉島ひろ子さん(=左)とタ莉子さん

【教えてくれた人】
吉島伸一鍋島緞通株式会社 5代目技術継承者・吉島タ莉子さん
よしじま・ゆりこ 心理士を目指し東京の大学で勉強していた矢先、急遽5代目のオファーが掛かる。その後、家業を継ぐために美術系の短大に入学。卒業後は3年間一般企業で働き、2019年に入社。経営企画やデザイン、広報などを担当。鍋島緞通の良さを多くの方に知って頂くため、日々奮闘中。
本家鍋島緞通の「HP」
美しい作品が並ぶ「Instagram」

【編集後記】
今回は佐賀市大和町の工房に伺い、実際に制作されている様子も見学させていただきました。工房は、「九州の嵐山」と呼ばれている景勝地「川上峡」の川沿いにあります。併設されたギャラリーでは、緞通に直接触れることができたり、商品にまつわる詳しいお話も伺えました。体に触れた時の心地の良さにはうっとり…。作品は、どれも手作りならではの温かみがあり心が解きほぐされました。家族が団欒するリビングにあったら、素敵だろうな…。

工房からは、トントンという織機の音が響き、女性の職人さんたちが目にも留まらない速さで作業をされていて、職人技の凄みを感じました(問い合わせると見学も可能です。ぜひ訪れてみてください)。

今回の取材でタ莉子さんが目を輝かせながら話された言葉が心に残っています。「若い感覚だけが絶対ではない世界。私の場合は、祖母の意見を聞きながら制作することが多く、そのアイデアに興奮し、刺激を受ける日々です」。世代を超えてアイデアが交わり、時代に沿った新しいものが生まれ、世界へと広がる。進化する伝統工芸・鍋島緞通から、今後どのような作品が発信されるのか、とても楽しみです。

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