ヌードル店後継が実感 アメリカと日本企業の違いとは? -①Sun noodle副社長、夘木健士郎さん編-

製麺会社Sun noodl

海外で挑戦する方々をRESOBOXスタッフがインタビューし、経験談やアドバイスを語っていただく「海外挑戦者シリーズ」。第八回目はハワイで1981年に創業した製麺会社Sun noodleの副社長、夘木健士郎(ウキ・ケンシロウ)さん。父の栄人(ヒデヒト)さんがハワイに移住しsun noodleを創業、2代目としてカルフォルニア工場の立ち上げからニューヨークでの新しい事業企画に至るまで常に事業の最前線で活躍する若き社長です。前編では事業を営む両親の背中を見ながら育った幼少期から事業に本格的に携わるまでの経緯、アメリカでの暮らしの中で日本人の両親から教わった慣習や考え方を紹介。アメリカ企業と日本企業の違いについても語っていただきました。

Q1.物心ついた時から家業の手伝いはしていたのですか?

A1.ヌードルボーイの当たり前の日課。

周囲の友達もみんな父の事業を知っていたので、小さい頃の僕のあだ名は「ヌードルボーイ」でした。サッカーの練習の後も僕の日課は工場に行って手伝うこと。周囲の友達が両親とどこかに出かけるような休日も兄弟とともに工場に行くことは当たり前でした。みんなとは違う生活でしたが、僕にとっては当たり前だったので、特に嫌がったこともありませんでした。

Q2. いつ頃から事業に参画しようと思ったのでしょうか?

A2.大学でビジネスの勉強してから。

工場を手伝うことは僕にとって当たり前でしたが小さい時の夢はサッカー選手かパイロットになることでした。パイロットになりたいと思ったのは、確か両親の実家の栃木に行く際利用していたジャンボジェットがとても印象的だったからですかね。事業を継ごうということはあまり考えていませんでした。ただ大学でビジネスを専攻してからは、授業での学びと自社で実践していることがリンクし、経営に興味が湧きました。そして僕らの業界ではよくあることですが、子供に事業を継がせる場合、数年外で「修業」に出ます。僕は大学卒業後、日本の製麺会社に行く予定でした。ただちょうどその時会社が事業の関係でカルフォルニア工場を大きな施設に移設することになり工場の作業員が足りなかったため日本行きはなくなり、僕は単身カルフォルニア工場に行くことになったのです。会社こそ同じでしたが、誰か日本人の下で働くという環境は僕にとって初めての経験で修行の一貫だったと思っています。

Q3.修行を通じて学んだことは何でしたか?

A.事業の基礎

幼い時から工場の簡単な作業の手伝いはしていましたが、製麺作りに関する詳しい知識は持っていませんでした。新工場は僕を含めて従業員3人というところからスタートしたので麺作りから発送に至るまで、全ての工程を自分もやっていました。ビジネススクールも出て工場作業員の仕事をするというのは思い描いていたものとギャップが大きくあり悩んだこともありましたが、事業の基礎を自分で体感しながら学んだ重要な時期だったと思っています。

Q.同業他社の日本企業とアメリカ企業の違いはどこにあると思いますか?

A.組織のあり方

僕は日本の企業で働いたことがないので経験からは言えませんが、日本企業と一緒に働いた経験から感じることは、アメリカ企業に比べ、「ビジネスにおけるリサーチに消極的であること、「それは違うと思う」と意見を主張することが難しい雰囲気がある」という点だと思っています。またアメリカでは会社に変革を起こすためCEOを外から雇うことが多くあります。CEOの多くはリーダーシップ発揮し日本企業に比べて素早く意思決定が下されますが、そこにあった良い文化までも変えてしまうことがあるというのは短所だと思っています。

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