−有田焼創作絵師・華仙さん編− ①伝統守り 新鮮さも追求

華仙さん

海外で挑戦するアーティストに経験談やアドバイスを語っていただく「海外挑戦者インタビュー」。11回目は有田焼創作絵師の華仙さん(佐賀県有田町)です。伝統を守りながら、型にはまらない斬新なアイデアを作品に込める実力派。フリーハンドで手掛ける繊細で美しい絵柄が評価され、国内外で活躍する彼女にお話を伺いました。

Q1・有田焼とは? 魅力とともに教えてください
A・白い宝石! 豪華絢爛な美しさ

有田焼は佐賀県有田町発祥の陶石を原料とした「磁器」で、400年以上の歴史を持ち、日本における磁器の原点といわれています。卓越したろくろの技術で生み出す薄さや軽さ、透き通る美しさ、なめらかな触り心地などが魅力です。また、古くから「成形」「絵付け」「焼成」などの各工程を分業で行う習わしがあったため、特長である「繊細で豪華絢爛な絵柄」が発展したといわれています。人間業とは思えない素晴らしい作品が多く存在し、誕生から400年以上経った今も世界各地で高い評価を受け「白い宝石」と呼ばれています。

Q2・有田焼のアーティストになることを決意された時期は
A・18歳。絵描き好きな子供時代を経て

私の実家は、祖父の代から続く有田焼の窯元です。祖父の舘林貞夫(1908〜94)は、「現代の名工」として表彰された経歴を持ち、誰よりも憧れの存在です。私は物心ついた頃には祖父の側で筆を握り、絵を描くことが大好きでした。
陶芸の道へ進むことを決めたのは高校を卒業した18歳の時。父から誘われ、実家の窯元に入りました。最初の2年は焼きものの基本を学び、3年目にやっと絵付けが許されました。最初に挑戦したのは大きな壺。「難しいものから挑戦しなさい」という祖父の教えがあり、難易度の高い作品でスタートを切りました。

Q3・アーティストとしても活動されていますね
A・アイデアが溢れ 斬新な作品を追求

絵付けをはじめて2、3年が経つと、表現したいアイデアが次々と湧くようになりました。道端の落ち葉、街で耳にした音楽など、自分に関わる多くのモノやコトを無意識のうちに有田焼と照らし合わせ「作品にどう活かそうか」と考えるようになっていました。
その頃から仕事以外の時間を使い、プライベートの作品を作り始めました。昔から「誰かと同じこと」「普通」が嫌いな性格でしたので、「今までにない、おもしろいものを作り出してやろう!」という思いが強くありました。

目玉をイメージしたピアス

Q4・華仙さんが表現したいものとは?
A・毒のある美しさ

美しさの奥に毒を含んだ作品です。例えば、目玉、妖怪といったモチーフを手がけているのですが、不気味なイメージは色合いや筆のタッチで中和し、有田焼の基本である「華やかさ」「美しさ」を前面に出すように心掛けています。
発想の源は、生活そのものとお話ししましたが、感情もその一つです。何かあって落ち込んだとしても、辛さや苦しさ、悲しみを全力で作品にぶつけ、「絶対に負けない」と作品作りに没頭します。作品が完成する頃には「やってやった!」と、いう達成感で満たされて元気になれています。

華仙さんの作品

Q5・色鮮やかで繊細なタッチが定評です。下書きなどはするのでしょうか?
A・完全にフリーハンド

下書きはせず、頭の中に描いたイメージを直接陶器に描きます。レイアウトを想像している時点で、完成図が確定していることは稀。実際に描きながら、洋服をコーディネートしたり、パズルを組み合わせたりするように、デザインの空白の部分を埋めていくのですが、その作業がとても楽しいです。こういったお話をすると「すごいですね!」と言ってくださる方も多いのですが、上には上が大勢おられます。日々努力を重ね、技術を高めて行きたいです。

<編集後記>
華仙さんのインタビュー後編では、椎名林檎さんのアルバムジャケットに作品が採用されたり、NYで作品展を開催された時のエピソードを紹介します。

【memo】有田焼は1616年、豊臣秀吉の朝鮮侵略で連れてこられた朝鮮人陶工の李参平が初めて磁器を焼成したのが起源と言われています。佐賀県の発表によると売り上げの最盛期は1991年で約250億円。その後は右肩下りで2015年には約40億円まで落ち込むものの、町ぐるみで伝統を復活させようと、精力的にイベント開催や観光PRなどに取り組まれています。

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