−ハープの演奏家・研究者・菅原朋子さん編−  ②人生を変えた箜篌 助成金を得てNYで活動

菅原朋子 

箜篌(くご)をはじめとするさまざまな種類のハープの演奏家・研究者である菅原朋子さん。ニューヨークを拠点に世界で活躍する菅原さんにこれまでの歴史や思いを語っていただく連載シリーズの2回目。箜篌の演奏を始めた理由や助成金を得て渡米したお話を伺いました。

菅原さんの始めての箜篌のC D「Along the Silk Road」

Q5・菅原さんと箜篌との出合いは? 
A・30歳のころ。自身の言葉を表現する楽器として

東京藝術大ハープ科を卒業後、ずっとグランドハープ(演奏会で使うことが多いためコンサートハープとも呼ぶ)を演奏していました。しかし、30歳ごろからミスのない完璧な演奏を目指すことで弾くことが恐くなっていました。ハープを奏でることで幸せを感じてきたはずなのに、何か間違っていると感じるようになったのです。
どうすべきか、自問自答を重ねる日々に転機が訪れます。正倉院(奈良県)に箜篌(くご)の断片があると知ったのです。そこで、復元や演奏をする演奏家・劉宏軍さんにお願いし、まずは弦を張る作業から携わることになりました。修業しながら研究するうち、古代人にとって音楽が、心を清め、癒やし、奮い立たせる手段であったと知りました。
この出来事をきっかけに、今後音楽を奏でる時は「感性を表現し、心の言葉を発するようにしよう」と迷いが晴れ、本来の自分の演奏を取り戻せたような気がします。

古代バビロニアの箜篌(学術名・角形ハープ)1600BC

Q6・なぜ渡米することになったのですか? 
A・箜篌への探究心募り ACCの助成金得て

2004年、正倉院で開催された「箜篌ミーティング」に奏者として出席しました。そこで、学術名「角形ハープ」の第一人者のボー・ラーヴァーグレンさんと出会いました。
彼は米国で楽器考古学者として活躍されており、色々なことを教えてくれました。この時、箜篌が「角形ハープ」というアジア全体で壮大な歴史を持つ楽器であると知りました。その後、探究心が日々募り、2007年に「アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)」 の助成を得て、米国ニューヨーク市で箜篌の研究、復元に携わることになったのです。ACCとは、ビジュアル及びパフォーミング・アーツの分野で、米国とアジア間の国際文化交流を支援する米国の非営利財団です。母国以外の国や地域で専門的な研修や調査の機会を希望するアーティストや専門家のために、研究奨学金と短期間の渡航助成金を提供されています。
そうそう。ちなみに、ボー・ラーヴァーグレンさんは現在私の夫です。

Q7・言葉の壁はどのように克服しましたか?
今後世界を目指す人へアドバイスをください 
A・言葉のハードルを気にせず、思いをどんどん伝えて

英語は今も得意ではありません。それでもコンサートでは話すよう心掛けています。最近は、厚かましくもレクチャーコンサートさえしています。今年1月にはNYで日本文化を広めているギャラリースペース「RESOBOX(イーストヴィレッジ店)」で、中世欧州の「リュート」とのアンサンブルコンサートを開催し、たくさんお話をさせて頂きました。

はじめのうちは、「その英語力では、話さない方が良い」とアドバイスされたこともありましたが「英語が下手であるという恥ずかしさ」より、「自分の思いを伝えたいという気持ち」の方が優っていたのでずっと続けてきました。
しかし、この選択こそがNYとういう場所で、今も活動し続けられていることに繋がっていると思います。今後を担う若い人たちにアドバイスができるとすれば、まさにこのこと。「大切なことは、語学の能力よりも自分の中にちゃんと伝えたいことがあること 」。もちろん、語学も大切です。堪能であれば、伝えることが容易になるのですから。しかし、恥をかいてでも自分の中にあるものを伝えることを諦めないでほしいです。

菅原さんと、彼女の箜篌の生徒さん(すでに素晴らしい古箏奏者)である Fan Rongさん。上海音楽院スタジオにてレコーディングの様子(2018 Nov.)

アメリカという国は、一生懸命な人を応援する国です。年齢や性別、無名、有名といった制限は日本よりも少ないと感じています。この環境を生かすためにも、しっかりと地に足をつけ、良き友人を作り、感謝する気持ちを忘れず、幸せを感じながら生きることが大事だと思っています。
また「自分はこう、とあまり決めないこと」。もし決めていたら、私は今も、コンサートハープをストレスいっぱいで演奏していたかもしれません。「自分の中には、まだまだ自分の知らない自分がいるかもしれない」。そう考えると、わくわくしませんか?

マンハッタンに住む日本びいきのグローブスさんの和室にて、箜篌ワークショップ。日本の勉強をしている学生さんたちとの一枚。右後ろは菅原さんの夫であるBo Lawergrenさん

Q8・今後の展望は?
A・アジアのハープ・箜篌を世界へ!

2019年の春から3カ月間は上海にある「上海音楽学院」で箜篌指導と、唐音楽復興プロジェクトに参加しました。私の活動が、思いもよらず上海音楽学院の先生に認められ、ご縁をいただきました。
私の夢は箜篌、そして、箜篌によって弾かれていたかもしれない曲を、現代でより美しくよみがえらせることです。そして、アジアのハープ・箜篌を世界の人々に知ってもらうことです。何故そんなことをしているかといえば、私の人生を美しく彩りたいからです。

019年6月 上海音楽学院の趙維平教授と生徒さんたちと送別会

<編集後記>
菅原さんの箜篌の演奏を聴いていると、太古から伝承された響きが生み出す雄大さ、安心感に包まれます。インタビューの中で、それは楽器の力に加え、菅原さんが愛に満ちた方だからと強く感じました。
菅原さんのような方が世界で活躍されていることは、同じ日本人として、とても誇りに思いますし、一人の女性として目標にしたい存在です。
私にかけてくださった言葉の中にも、人生の宝物になる印象的なフレーズがたくさんありました。独り占めにしては勿体無いので皆さんと共有したいと思います。
「自分でわかること、決められることはごく僅か。だって、自分は万能の神様じゃないのだから。だから日々を一生懸命に、そして感動する心を忘れずに過ごしていたら、大丈夫、きっと良い方向に行くから」
挫折したり、諦めかけたりすることは、誰にでもあると思います。「自分はこうである」と決めつけず、可能性に満ちた明日に向かって歩み続けたいですね。

RESOBOXでの演奏会の様子

・菅原朋子さんの最新の情報や箜篌の演奏は下記サイトでご覧いただけます
菅原朋子さんのサイト
Eurasia Consortのサイト

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【教えてくれた人】すがわら・ともこ 東京都生まれ。東京芸術大でハープを専門に学ぶ。卒業後はプロの演奏家として活躍。2001年に箜篌と出合い、演奏もスタート。2007年、「アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)」 の助成を得て渡米。ニューヨークで箜篌の研究を行う。現在はNYを拠点に世界各地で演奏活動や教育活動に携わる。

●「株式会社RESOBOX」は、日本文化と多文化が響き合い、新たな文化を創出するスペースをNY市内で展開しております。日本文化を核にしたパフォーマンスをアメリカで披露したいとお考えの方はご相談ください。また、上記のような文化事業に加え、海外進出支援サービスも行っております。マーケティングリサーチやイベント出店、米国に合わせた商品開発に関する相談はもちろん、NY在住のアーティストとのコラボレーション企画などもご提案できます。興味がある方はHPをご覧ください。問い合わせはこちらまで、気軽にお寄せください。

facebook
Twitter