シラキ工芸・社長 入江朋臣さん編①200年の歴史持つ日本の灯火「八女提灯」


海外へ日本文化を発信するアーティストや企業担当者にRESOBOXのスタッフがインタビューするシリーズ。今回は1980年(昭和55年)創業の「八女提灯」の製造元「シラキ工芸」(福岡県八女市)の社長、入江朋臣さんです。八女提灯の歴史や魅力について教えていただきました。

Q・八女提灯とは何ですか
A・200年以上の歴史を持つ提灯。

現在、八女提灯は盆提灯として知られています。福岡県南部の八女市では昔から和紙の生産が盛んで竹林が多く、提灯作りに必要な材料が揃っていました。八女提灯の前身である、福島提灯は1813年頃に同市福島町の荒巻文右衛門(あらまきぶんえもん)によって創製されたといわれており、その素朴が人気を集め提灯の産地として名を馳せました。当時はは八女提灯と呼ばれておらず、福岡県八女郡福島町で生産されていたことから福島提灯と呼ばれていました。そして今から約170年前の1850年代に、提灯の製作技法に一大革命が起きました。その内容は大きく分けて2つ。これらが八女提灯を特徴づけています。 

Q・ 一大革命とは何ですか
A・竹骨に一条螺旋式、火袋に薄紙を採用

1つ目は、提灯の骨格を一本の細い竹を螺旋状に巻いて形成する技法「一条螺旋式」の採用です。これにより、ヒゴ巻きの継ぎ目が減りスムーズに仕事ができるようになりました。2つ目は、光を灯す火袋(ひぶくろ)と呼ばれる部分に薄紙を使い、内部を透かして見られるようになりました。さらに、そこに山水、草木、花鳥などの彩色画を描いたことで涼み提灯として名声を博しました。その後、下描きをせず筆を二本持ち、絵具の付け方で濃淡をつけて作業速度を上げる描画法(速描)が技法として採用され、国内の大量需要に対応するだけでなく、アメリカなどの諸外国にも輸出されるようになりました。これら一連の動きにより需要が高まったため提灯の生産は福島町から八女市全土に広がり八女提灯と呼ばれるようになりました。 

下描きなしの一発勝負。

Q・シラキ工芸について教えてください
A・伝統の技術を次世代へ

創業39年の会社です。社名の由来は創業地名の白木です。私は20歳で後継になり、24歳で譲り受け、30 歳で法人化しました。事業内容は岐阜・八女提灯(火袋)の製造で、盆提灯が7割を占めています。このほかに祭事用の提灯も作っており、京都の祇園祭や東京の三社祭で使われています。また、伝統の技術を次世代に引き継ぐべく若手職人の育成にも力を入れています。 

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<編集後記>インタビューの後編ではシラキ工芸の職人育成、制作時のこだわりについてご紹介します。

シラキ工芸オフィシャルWEBサイト

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