こもだるの製造メーカー・岸本吉二商店・4代目岸本敏裕さん編①日本酒守る江戸生まれの知恵「こもだる」 

岸本吉二商店「こもだる」社員

海外へ日本文化を発信するアーティストや企業担当者にRESOBOXがインタビューするシリーズ。今回は1900年(明治33年)創業の「菰樽(こもだる)」の製造メーカー「岸本吉二(きしもときちじ)商店」(兵庫県尼崎市)の四代目社長、岸本敏裕さんです。こもだるの歴史や魅力について教えていただきました。 

Q・こもだるとは? 
A・酒だるを「菰(こも)」で巻いたもの 江戸時代版の「プチプチ」

こもだるとは、日本酒を入れた杉の酒だるを藁(わら)を織った菰(こも)で巻いたもので、江戸時代(1603–1868年)に誕生しました。当社は、日本酒の一大産地・伊丹(兵庫県)や灘(神戸市)に程近い尼崎市にあります。当時、江戸で消費されていた日本酒の7、8割はこの周辺で造られており、最盛期には1日に4tトラック60〜70台にものぼる大量の酒が運ばれていました。量が増えるにつれて馬を使って陸路で運ぶことが困難になり、「樽廻船(たるかいせん)」と呼ばれる船で海上輸送するようになりました。その際に荒波で樽が破損しないようにと「こもだる」が誕生。菰は今でいうプチプチの役割を担う緩衝剤であり、当時の知恵でした。

藁(わら)で菰(こも)織る職人

Q・全国に広がった理由は? 
A・広告デザインとして活躍

こもだる輸送が主流になると、酒蔵は樽に巻く菰に、銘柄や印を入れたデザインを施し、酒の宣伝をするようになりました。この手法が普及し、海上輸送しない地域も含め、日本各地に広まったという説が有力です。当時のデザインは優れたものが多く、現役で残っているのも多数あります。

江戸時代から続くこもだるのデザイン

Q・結婚式など、祝いのシーンが印象的です。風習の起源は?
A・忠臣蔵にも登場 古くから続く伝統

こもだるには酒を運ぶ以外の用途もたくさんあります。結婚式などのお祝い事で、蓋(通称「鏡」)を木槌などで叩いて開き、参加者に振舞うセレモニー「鏡開き」や、神事の際に神社に供え、祈願後に酒を酌み交わす風習などです。
起源は定かではありませんが、忠臣蔵で知られる1702年12月14日の赤穂浪士討ち入りの際に、威勢をつける出陣の酒として樽を開いて飲む様子が剣菱酒造(神戸市)が所有する冊子に描かれるなど、古くから続く日本の伝統的な風習であることに間違いありません。
大きな一つの樽に入った酒を集った人と分け合い、喜びや美味しさを共有する素晴らしい文化です。

神社 こもだる

Q・岸本吉二商店の歴史について教えてください 
A・創業120年 時代に合わせ変化
 

昔はこもだるの菰を農家が内職で作り、仲買人が集めて酒蔵に納めていました。明治期に入ると需要が減り、仲買人の多くが廃業。大きく商売をされていた仲買人は、新規事業へ商売替えされました。岸本吉二商店は農家だった吉二が明治33年に創業。徐々に、一般消費者用の商品開発にも取り組むようになりました。日本酒の国内需要が好調だった昭和30年代には、陶器製の1.8ℓの樽を菰で巻いた「1.8ℓ菰樽」を発売。お歳暮需要でヒットし、その後のロングセラー商品になった実績もあります。
また、素材も時代に合わせて変えてきました。農家の高齢化に伴いわら製は流通量が減ってしまったため、現在は安定供給できる合成樹脂製を主に展開しています。わら製は「これじゃないと」とおっしゃる酒蔵のため、そして「昔ながらのスタイルを残していきたい」という我々の思いから作り続けています。

さまざまなスタイルのこもだる
時代に合わせて進化する様々なスタイルのこもだる

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<編集後記>インタビューの後編では岸本吉二商店の現在の取り組み、海外での展開についてご紹介します。

岸本吉二商店オンラインストア

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岸本吉二商店「こもだる」社員